Leaders’ compass 〜リーダーたちの羅針盤〜 #01
■新日本プロレス・棚橋弘至×Creative2・清水友博による「トップ対談」前編
わたしたちCreative2は2013年、2人の元新聞記者が立ち上げました。かつてない新しいメディアを作り上げようと、思いを同じくする仲間が1人増え、2人増え、そして14期目を迎えた2026年には社員数は100人に達することとなりました。
この間、2023年12月には創業者の2人から清水友博に代表のバトンが手渡され、時代の変化を感じ取りながら新たな挑戦に乗り出しています。ちょうど同じ頃、誰もが知る人気プロレス団体でも新社長が誕生しました。新日本プロレスリング株式会社の棚橋弘至社長です。
弊社・清水代表と異業種を牽引するリーダーとが率直な想いを語るトップ対談「Leaders’ compass 〜リーダーたちの羅針盤〜」。第1回は、元々はエースレスラー、そして新聞記者という“プレーヤー”から経営陣となった2人が、新たに得た価値観や社長としての信念について意見を交わします。
■現役プロレスラーの頃から「自分の言葉をナビゲーションにした」棚橋
—— 社長就任から3年目のお二人ですが、そもそも社長になろうというビジョンはお持ちでしたか?
棚橋:僕は2016年頃に、雑誌のインタビューか何かで「僕は将来、新日本プロレスの社長になります」と言っていました。忘れていたんですけど(笑)。ただ、僕は『言霊』はあると思っています。選手の頃から「チャンピオンになりたい」「優勝したい」という目標を先に出すことによって、その言葉に自分が全力で追いついていくというか、自分の言葉をナビゲーションにしているというのはありますね。
清水:自分は全く社長になるつもりはありませんでした。弊社には創業者が2人いるんですが、その2人の元で「自分は何ができるか」というのを考えてやってきたので、棚橋さんとは全然違いますね。
棚橋:プロレスの付き人制度と似ていますね。トップレスラーに若手が付くことで、その振る舞いや考え方を学んでいくんです。だから、創業者のお二人に付いていたことで、必要なことを学ばれていたんでしょうね。でも、ただ一緒にいるだけでは学びにならない。「この人たちから学ぼう」「吸収しよう」と、常にアンテナを張っている人間が情報を収集できるので。
清水:確かにいろいろな学びがありました。棚橋さんは「社長になる」と発言してから、そのイメージを持って現役を続けていたんですか?
棚橋:そうですね。新日本プロレスは初代社長が(アントニオ)猪木さんで、2代目が坂口(征二)さん、3代目が藤波(辰爾)さん。それ以降は20年ほどレスラーではないビジネス側の人たちが社長をやってきました。だから、自分が社長になることでプロレスラーに社長の権限が戻る“大政奉還”が起きるのも面白いなと思って、自分の社長就任を大事(おおごと)にしました。
清水:プロレスラーが社長をやるからこそ分かる現場の声や、見えるものもあるでしょうね。
棚橋:まさに。試合数や移動のキツさなど選手が直面している実態は分かっているので、その要求を僕は受け止められます。でも、会社側に立ってみると、この試合数と経費で売上目標を達成するには、このスケジュールでいかないといけないというのも分かる。だから、レスラー兼社長の2年間は板挟みでした(笑)。
清水:どちらの意見も分かるだけに辛いですね。
棚橋:リングで受け身を取っていたらいいと思ったら、事務所でも受け身を取るという受け身人生(笑)。でも、本当に充実した2年間でした。
清水:経営者は雇用側なので。経営者になった瞬間に「休み」という概念がなくなりました。
棚橋:僕もです。家でゆっくりと動画配信を見ている時に「あれ、良いのかな?」って思ったり、「Slack」に連絡が来ていたら嫌だなと思いながらもチラ見したり(笑)。
清水:オン・オフの切り替えもなくなりますよね。

■実は新聞記者になりたかった…!?「良い記事書いてたでしょうねー!」
— 棚橋さんはご自身がリングで輝く側から、今度はプロレスラーを輝かせる側になりましたが、思考の転換のようなものはありましたか?
棚橋:僕は全部、何かあったら自分がやればいいと思っていたタイプだったので、最初はやっぱり切り替えが大変でした。例えば、タイトルマッチで「次の挑戦者は誰だ?」となった時、現役時代は「俺だ!」と出ていけばよかったのが、今は「次は誰が行けば面白いかな?」と客観的に見るようになりました。
清水:それは社長に専念なさってからですか?
棚橋:社長専任になってからですね。現役を終えるまでは、最後の1分1秒まで「もっと強くなりたい」「チャンピオンになりたい」って思っていたので。
清水:自分がやった方が早いって思うこともありますか?
棚橋:そうですね。プロモーションを見ていても「自分だったら、こうするだろうな」と思うこともありますよ。でも、選手自身で気付いて始めないと習慣にはならない。だから、自分のものにしてもらうためにも、選手を信じて少しずつ責任を任せていくというか。
清水:僕も元は新聞記者で自分が動く立場だったので、自分以外の人にどうやってもらうかを考えるのって難しいと感じています。そういえば、棚橋さんは元々、新聞記者になりたかったと聞きました。
棚橋:はい。そもそもプロ野球選手になりたい夢があったんですけど、野球があまり上手くなくて(苦笑)。それで大学に入る時に「伝える側の人間=新聞記者になろう」と。プロ野球選手、新聞記者、プロレスラーと、段々夢が変化しました。
清水:新聞記者になっていたら、全然違う人生になってたかもしれませんね。
棚橋:良い記事書いてたでしょうねー!(笑) もう絶対ネタ取ってましたよ、いろいろなところで。懐に入り込むのが得意なので。
清水:選手との関係性を築くのは、新聞記者にとって一番大切な能力ですから。
棚橋:でも、聞いたこと忘れちゃうんです(笑)。
■2人が共有する、プロレスラーや社員が「化ける」面白さ
— 棚橋社長の目に、今の新日本プロレスはどう映っていますか?
棚橋:今はトップを狙う20代から30代前半の選手が10人以上揃っていて、他の時代と比べたらこんなに頼もしい時代はないと思っています。ただ、もっとギラギラしたり、もっと野心を言葉にしたり、もっと動いたりすればいいのにと、もどかしいところもあって。
清水:なるほど。
棚橋:僕らの時代は中邑真輔と棚橋弘至という2人に対して、新日本の未来をなんとかしてくれという期待感があったので、「俺たちの世代でなんとかしないといけない」という自覚が20代半ばからあったんです。逆に今は人財が多いので「俺がやらなきゃ」という気持ちが芽生えにくいのかなと思っていたら、どうやら大丈夫みたいです。
清水:何か動きがあったんですか?
棚橋:今年の夏に開催した「G1 CLIMAX 36」で大岩陵平が優勝したんです。予選から這い上がって優勝したので、他の選手にはすごい刺激になったんじゃないかと。プロレスラーはやっぱり自分が一番じゃないと納得しない人たちの集まりなんですよね。それは今も昔も変わらない。
清水:その動きが自然発生的に生まれたのはうれしいですね。
棚橋:G1 CLIMAX直前に「NJPW WORLD」で配信された「プレジデントーク」という対談企画で「大岩、頑張れよ」と言ったんですけど、実際に応えてくれるうれしさはあります。ただ、その前に日本外国特派員協会であった記者会見で「20代、30代の選手が充実している」と順番に名前を出した時、大岩だけ抜けていて……。その流れでの優勝だったのでホッとしました(笑)。
清水:よかった!(笑) 棚橋さんは言葉の発信やセルフプロデュースを通じてスターになられましたが、スターは作れるものだと思いますか。こちらで環境は作れるけれど、最終的には自分自身が重要だ、と僕は思っています。
棚橋:感覚として、身体も鍛えて、滑舌も正確で、ビジュアルも良くて、という選手はほっといてもスターまでいくんですよ。でも、スターからスーパースターになるのは、その選手の持ってるポテンシャルや運に賭けるしかない。ただ、プロレス団体としては「こんなに化けたのか!」という博打を打つような面白さがあるんです。やり甲斐というか、楽しみというか。
清水:そこは一般の会社にも通じると思います。「最初はここまで伸びると思わなかったのに……」と驚かせる社員っているんですよね。ある部署では活躍できなかったけど、環境が変わったらグッと伸びて、会社を引っ張る存在になった社員もいるので面白い。
棚橋:新日本もビジネス側の部署がいくつかあるんですけど、割と専門性が高くて部署間の異動があまりない。でも、20代はいろいろな部署を経験して、適性を探ってもらうのもいいかなと感じています。プロレスラーの育成に関しては、ある程度の予想ができるものの、社員の伸び代はまだ分からなくて……(苦笑)。だから、社員全員とランチミーティングしました。
清水:素晴らしい。
棚橋:毎回3人くらいとランチに行って、今やっている業務と、新日本でやりたかった業務の両方を聞いたり、会社に対する意見を聞いたり。約70人の社員がいるので、ランチミーティングでだんだん僕の体重が増えていくという(笑)。
■2人が採用時に見る人材のポイントとは…?
清水:棚橋さんはどういうところを見て「この人は伸びるかも」と感じ取りますか?
棚橋:入門テストで「こいつ、受かるな」「伸びるな」と思うのは、やっぱり「目」ですね。この仕事で飯を食っていく覚悟があるかどうか。それは本当に小さな目の動きや言葉に、情熱がにじみ出ますから。
清水:目、ですか。すごいですね。自分が採用の時に一番見ているのは、自発的であるかどうか。受け身ではいろいろなことが止まってしまうので、自分で考えて行動できる人間かどうかが一番。あと、もし弊社のスポーツ関連メディアで採用するのであれば、自分は「スポーツがちゃんと好きであるか」が重要だと思っています。そうでないと、入ってきてから長く続かないし、いい仕事ができないので。
棚橋:やっぱり根底に「好き」があると熱量が違いますよね。ルーティンとしての仕事ではなくて、自分がやりたいからやる、自分が届けたいから書く、とかね。
清水:好きじゃないと仕事って続かないと思うんですよね。記者の仕事が好きかというよりは、スポーツが好き、野球が好き、プロレスが好き、は重要かなと。
棚橋:今、ふと思ったんですけど、「好き」は後付けできるかもしれないですね。
清水:後付け、ですか?
棚橋:仕事をやってみて、やりがいを見つけるというか。プロレスラーは会場が盛り上がってくれたり、勝ってファンが喜んでくれたり、やりがいが見えやすいんです。それと同じように、記事を書いたことによって誰かが笑顔になったとか、記事を読んで情報を知れて助かったとか。
清水:なるほど。
棚橋:僕、『人の喜びを自分の喜びに』という言葉が好きなんです。僕が小学生の時に苦手な算数で100点を取った時、母に見せたら「え、こんなに喜ぶんだ!」というほど喜んでくれたのがうれしくて。その時「人の喜ぶ姿ってこんなにうれしいものなんだ」と感じたんです。結果として、プロレスラーの仕事もそうだったんですけど。
清水:お客さんの喜ぶ姿や声援は、皆さんのエネルギーになるんでしょうね。
棚橋:そうですね。試合終盤は息も上がってダメージもあるけれど、「タナハシ」コールが聞こえると不思議と無限に動いていられるというか。その後でダメージは来ますけど(笑)。

■棚橋が大切にする「初期衝動」 高校時代の衝撃が原点
——「人の喜ぶこと」でいうと、プロレスをコンテンツとして考えた場合、棚橋さんは何を大切にしてユーザーに届けていますか。
棚橋:僕が一番大事にしているのは「初期衝動」です。高校生の時にたまたま深夜でやっていたプロレス中継を見て、「こんなに面白いものがあるのか!」と衝撃を受けました。それからもう寝ても覚めてもプロレスで、生きているのが1000倍楽しくなったんです。だから、今はプロレスを見たことがなくても、これからプロレスを知って生活が楽しくなる人が必ずいるはずだと信じている。その初期衝動がプロレスラーになっても、引退した今も続いている感じです。
清水:すごく近いなと思います。弊社の企業理念は、我々が発信する情報や制作するサービスで、社会をワクワクさせ、世の中をハッピーにしよう、というもの。一番理想的な形は、例えば毎日、我々が作るサービスに触れて、今日も良い日だったなと思って、次の日の活力にしてもらうみたいもので、実現するといいなと思っています。プロレスを知って幸せになる人がいるというところとは近いですよね。
棚橋:追求しているものは似ているのかもしれませんね。以前、100年続く老舗企業の社訓を教えていただいたことがあったんです。まず「会社のその理念がしっかりしていること」。次に「会社のプロダクト(商品)がしっかりしていること」。そして3つ目が「時代に柔軟に対応すること」だったんです。
清水:なるほど。
棚橋:1つ目と2つ目がしっかりしていても、3つ目ができていないと、時代についていけない。新日本も猪木さんの「ストロングスタイル」という理念があって、「選手」というプロダクトもしっかりしていたんですけど、2000年代前半くらいに「時代に柔軟に対応する」ことができていなかった。だから僕が先頭に立って、怖いとか痛そうとかではなく、「楽しいものだから見てください。こんな僕が戦ってますんで」とプロレスのイメージを変えていったんです。
清水:ビジュアル的にもすごい格好よくて、スタイリッシュなレスラーが増えましたよね。
棚橋:棚橋が出て、中邑が出てきて、オカダ(・カズチカ)が出てきて、内藤(哲也)が出てきて。まあ、これもひとえに棚橋のおかげかと(笑)。
清水:自信を持って言い切れるところがすごい(笑)。
棚橋:いやいや、でも僕、入門テストで2回落ちているので(笑)。3回目で受かったんですけど、よく2回も落としたなと思いますよ。僕が入ってなかったら、新日本プロレスの歴史は少し変わってたかもしれない(笑)。だから、これからも入門テストは見たいと思うんですよ。僕みたいに拾わなきゃいけない逸材が眠ってるかもしれないので。
清水:もし100年に一人の逸材が誕生していなかったら……。本当ですね、入門テストには必ず出席してください(笑)。
【後編は近日公開予定です】

棚橋弘至
1976年生まれ、岐阜県出身。立命館大学卒業後、1999年に新日本プロレスへ入門。「100年に一人の逸材」としてIWGPヘビー級王座など数々のタイトルを獲得し、エースとして団体を牽引。平成プロレス再ブレイクの最前線で活躍した。2023年12月に同社の代表取締役社長へ就任し、2026年1月に東京ドームで現役を引退。現在は経営者として新日本プロレスを躍進に導いている。
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