対談企画「逆境のインサイト~失敗の先にある価値~」Vol.1
文藝春秋・竹田直弘×ENCOUNT・柳田通斉が送る「失敗のススメ」前編
わたしたちCreative2は「新しい価値を創造し、社会に、人々にポジティブな熱をもたらす」ことを、ミッションとして掲げています。何か新しいものを生み出す時、試行錯誤はつきもの。「失敗」しても、そこから得た学びが、「成功」により一層の深みを与えてくれることを知っています。
しかし、社会全体として「業務効率」「可視化された成功」が重視される昨今、若い世代を中心に「失敗=すべての終わり」と恐れ、新たな一歩を踏み出せない現実があります。
挑戦するすべての人の味方でありたい——。
そんな想いを込めた対談企画「逆境のインサイト~失敗の先にある価値~」では、Creative2のメンバーと各界で「挑戦」し続けるゲストが対談を通じ、飾らぬ言葉で今の時代を生きるすべての人々へエールを届けます。
記念すべき第1回は、株式会社文藝春秋・執行役員で『文春オンライン』初代編集長の竹田直弘さんと、『ENCOUNT』エディトリアルチェアマンの柳田通斉(元日刊スポーツ新聞社)が語る「失敗のススメ」。メディアの第一線で数々の修羅場をくぐり抜けてきたプロフェッショナルな2人が贈るメッセージとは。
■竹田は入社1年目で営業部に配属 「『出世コースなんだぞ』って言われて」
柳田 入社して、最初はどこの部署だったんですか?
竹田 僕は1年間、営業部にいたんですよ。いわゆる、書店回り。うちの会社は新入社員が5人くらい入るんですけど。
柳田 5人? すごく少ないですね。
竹田 そうですね。社員自体が300〜400人くらいしかいないんで、少ないんですよ。で、当時は5人のうち1人が営業に配属されるんですけど、僕がその1人に選ばれて。一応編集やりたくて入ったのですが、偉い人に「1年目に営業に行くっていうのは、出世コースなんだぞ」って言われて、「おお、マジっすか」みたいな(笑)。
柳田 (笑)
竹田 別に出世したいわけでもないんだけど、「あの人も、あの人も、あの人も1年目は営業だったんだぞ」って言われると、「おおー」って(笑)。でも、結果的に面白かったんです。書店を回って、文春から新しい本とか雑誌が出ると「ちょっとこれ、頑張って売りたいんでいい所に置いてください。お願いします」っていうアレです。おかげで「本を売るのって結構大変なんだな」っていうのが最初の段階で分かるわけです。もちろん自然に売れるわけじゃなくて、こんなにライバルがいる中で本を売ることの大変さを最初に知ることができて良かったです。その後、実際に出世もしたかというと、まあまあしました(笑)。
柳田 確かに出世してますよ(笑)。その後、2年目から週刊文春ですか。これもハードワークでしょう。
竹田 大変です。でも、やりたかったんですよ。週刊文春とNumberをやりたかったんです。
柳田 珍しいですね。週刊誌は嫌がる人もいるじゃないですか。
竹田 ね(笑)。結構大変そうに見えると思うんです、週刊誌って。でも、学生時代から週刊誌の中でもやっぱり好きだったんですよね、文春が。すごく公平だなと思って。文春は性別も年齢もあんまり関係なく、フラットに事実だけを追求する、みたいな感じがあった。骨太な感じもしたし、なんか面白いよなと思って、1回やってみたいなと。記事も真面目すぎず、世の中の出来事を面白く読んでもらおうという努力が見えるなって思っていたんです。
■毎週木曜の企画会議「もう最初から失敗だらけですよ」
柳田 ネタ会議は毎週木曜日でしたよね。
竹田 そう、木曜日の企画会議に毎週5本のネタを出すのがノルマでした。
柳田 いきなり、新人で「出せ」って言われても困るでしょ。
竹田 そうなんです。しかも、ちゃんと独自ネタを出さなきゃいけない。先輩のようにすごいネタ元もいないから、休日であるはずの水曜日にいろいろな知り合いに電話して「なんかないですかね。明日企画会議なんで」って(笑)。
柳田 休みがない状態ですね。
竹田 だから、今日のテーマは「失敗」ですけど、もう最初から失敗だらけですよ。企画会議で1本も面白いネタを出せない、みたいなことは毎週のようにありました。
柳田 大変だ。でも、新人だったら仕方ないことでしょ。
竹田 ですよね。当時は編集部員が40〜50人いて、その中でスクープを狙う特集班っていうのが30人弱くらいだったかな。それが4班に分かれて、6人とか7人くらいで企画会議をするんです。デスクが1人いて「じゃ、順番に若いヤツから。竹田から」みたいな感じなんですよ。「えーと、1本目は某スポーツ紙の記者に聞いたんですけど、とある球団でこんな揉め事があるみたいで」みたいな(笑)。独自ネタが2本くらいあればいいけど、何もない週もある。そういう時は「ちょっと新聞で読んだんですけど……」と言うと、「新聞かよ、お前」みたいな(笑)。あとは「ちょっと知り合いに聞いたんですけど」って話し始めると、「お前、それ先週の新潮に載ってたぞ」とか、どんどん潰されていって。
柳田 (笑)
竹田 あとは、ちょっと面白ネタに逃げたりね。若い人のネタだったら、おじさんデスクは知らないから「若い人の間で今、こういうのが流行ってて」って言うと、「お、おう、よく知らないけどそうなんだ」みたいな(笑)。そういうので逃げるとか。
柳田 最初の頃は人脈もない状況だから仕方ないですよ、それは。

■週刊文春に配属当初、竹田が先輩記者から得た印象とは…
竹田 だからなのか、僕、週刊文春入った時に最初に痛感したのは、全員謙虚だなと思ったんです。
柳田 おお、謙虚なんですね。
竹田 みんなブイブイ言わせているすごい記者ばかりって思うじゃないですか。いわゆるエーススクープ記者みたいな人もいっぱいいるんだけど、やっぱり毎週スクープを獲るのは難しいんですよ、どんな優秀な人でも。企画会議でも、毎週すごいネタを5本出し続けられる人はいないんです。5割打者もいない。どんな優秀でもせいぜい2割とか3割とか。多分、だから皆さん謙虚なんです。どんな実力があってもネタを取れないとか、他の週刊誌に負けたとか、そういう経験があるから。僕はそれがすごくいいなと思ったんですね。文春の記者って、だから強いんだなって。
柳田 偉そうにしてる感じの人がいないと。
竹田 僕が知る限りいないんです。
柳田 それ意外ですよね。
竹田 週刊誌の記者って、基本的には何でもカバーしなくちゃいけないから、どの現場に行っても毎回一見(いちげん)さんの立場になるっていうのもあるかもしれない。
柳田 確かに、週刊誌の記者はオールマイティーにならなきゃいけないですよね。
竹田 そうなんですよ。事件が起きたら、何のツテもなく、いきなり現場に行って初対面の記者に名刺を渡して「少し教えていただけませんか?」って聞く。そこから始めなきゃいけない。
柳田 それでも記事を間に合わせるために、何日間かでまとめるわけですよね。
竹田 そう、もう1週間の編集サイクルはありますから。月曜日に入稿して、火曜日校了。木曜日のネタ会議後から取材をスタートして、金、土、日と取材して。月曜には原稿を書いて入稿。だから、取材、執筆は実質4日くらいですよね。
柳田 土、日を挟むから、なかなか取材が難しかったり。
■「そもそも人見知り」な竹田はどうやって取材時のスイッチを入れるのか
竹田 僕、2001年のニューヨーク同時多発テロ、いわゆる9.11の取材に行ったんですよ。まだ若かったし、学生の時にフラフラと世界を放浪してたから、海外はどこでも行けるだろ、みたいな感じで行かされて。そしたら、ニューヨークで会う人会う人に「支局とかないの? 何も知らずに来てるの?」ってビックリされました(笑)。「素人が手ぶらで何してるんだ?」みたいな感じだったけど、結局はそういう人たちに世話になりながら1か月くらいいて、いろんな取材をさせてもらいましたね。
柳田 そこがすごいですよ。そういう現場に行く時って、やっぱりちょっと緊張したり、最初は「嫌だな」とか思ったりもするじゃないですか。どうやって乗り越えるんですか。
竹田 僕は日本から来た記者っていうんじゃなくて、記者役を与えられた役者だと思ってました。
柳田 おお、すごい(笑)
竹田 週刊誌記者Aの役(笑)。先輩に教えてもらったんです。僕の先輩は「自分のことを海外から来た留学生だと思ってやってる」とか言って(笑)。そうすると日本でもズケズケと行けるらしいです。ほら、事件があったらいろんな家のピンポンを押して、話を聞きに行かなきゃいけないじゃないですか。いきなりピンポンは押しづらいけど海外から来た留学生になりきるとできるって。留学生がみんなズケズケタイプではないので、あくまでイメージだと思いますが(笑)。
柳田 なるほど、なるほど。
竹田 その流れで、僕はじゃあ役者だと。ドラマの中の記者役だと思ったら、結構できる。そうやって頭を切り替えてやってました。
柳田 それはすごい!
竹田 でも、魔法が解けると何もできない。いつもの人見知りになってしまって(笑)。
柳田 そもそも人見知りなんですか。
竹田 はい、初対面の人に喋りかけられないです。でも、自分の頭をバカにして「役者だ」って思い込んで。
柳田 私も「バカになれ」っていう風には言われましたね、新人の頃に。スポーツ紙の記者もいきなり現場ですから。
■整理部から文化社会部へ異動した直後、柳田が犯した「大失敗」
竹田 柳田さん、最初はどこの部署でした?
柳田 最初は整理部で、見出しをつけてました。私はバブル期の入社だから同期が28人。そのうち12人が総務、経理、広告、販売、企画の業務系だったんですよ。残りの16人が編集局に入ったんだけど、実際に現場の記者になったのは8人しかいなかった。8人の中には支局に配属された人もいるし、写真部配属もいる。一度もカメラを触ったことない人が写真部に入ってたりしたんです。
竹田 なるほど(笑)。
柳田 やっぱりスポーツ紙ですから、みんなスポーツ記者になりたいわけですよ。でも、野球部とスポーツ部に行ったのが計4人で、僕は整理部になりました。だから、2年間は内勤です。
竹田 見出しをつけたりしながら?
柳田 そうです。夕方5時から仕事が始まって、最終入稿をする深夜2時、3時まで。そこから先輩たちと飲みに行ったら朝になります。
竹田 ああ、完全に昼夜逆転(笑)。
柳田 まさに(笑)。そこから寝て起きたら夕方で、休日でも太陽を見なかったみたいな。この先どうなるんだと思って、ずっと異動希望を出していたら、3年目に文化社会部へ異動になったんですよ。芸能ですね。
竹田 おおー。
柳田 でも、やっぱりスポーツの記者になりたかった。ただ、ここでブーたれてたら道が繋がらないと思って、整理部の時のように、とにかく目の前の仕事を一生懸命やりました。
竹田 素晴らしい。
柳田 でもね、整理部を2年間やってたせいで、完全に夜型人間だったんです。
竹田 うんうん。
柳田 で、異動初日に歌手の尾崎豊さんが亡くなった(1992年)。そこでデスクに、夫人と関係者が出入りするから自宅を張り込みに行け、とにかく誰でもいいから捕まえて話を聞け、と言われて、初日はちゃんと張り込みに行ったんだけど、2日目には起きられなくて、いきなり寝坊(笑)。慌てて起きて、昼くらいには現場に着いたけど、1時くらいに電話してきたデスクに、朝から張り込んでた風な報告をしたら、すぐバレました(笑)。
竹田 (笑)

■「押しつけられた」統一教会取材、深夜11時に呼び出され…
柳田 やっぱり、ウソは見透かされるわけですよ。
竹田 そうですね。
柳田 それで、早々にまずい立場になったんです。記者になってダメだとなったら1年くらいで戻されるのが当時の慣習でしたから。
竹田 あー、整理部の方にっていうことですか。
柳田 はい。もしくは業務系の部署に異動ですね。なので、「もう終わった。このままじゃ記者から外される」と追い込まれて、そこからは必死でした。とにかく挽回しなきゃいけないと思って、取材をして取材をして。独自ネタを取るために、電話取材から何からいろいろしましたよ。とにかく早くスクープを出したい、と。その中で、たまたま引っかかってきたのが、統一教会の合同結婚式だったんです。
竹田 おぉ、あの合同結婚式。
柳田 今の若い人は全然分からないと思うけど、1992年に突然有名人が統一教会の信者であることが分かり、誰だかわからない別の信者と合同結婚式をやるという騒動があった。なんだか実体がつかめなくて、先輩たちは誰もやりたがらず、完全に押し付けられて担当記者になったんです(笑)。
竹田 まだ若いから押しつけられたんですね(笑)。
柳田 そう。でも、とにかく山崎浩子さん(新体操元五輪代表)と桜田淳子さん(歌手)がちゃんと入籍したかどうか確認しなきゃいけないと思って、自宅に行って。本人がいないという時は手紙を書いて名刺と一緒に置いてきて、ってことをやってたら、ある日、山崎浩子さんと結婚した勅使河原(秀行)さんから「会いたいから夜11時くらいに統一教会の本部に来てくれ」と連絡がきた。
竹田 えー(笑)
柳田 さすがに怖いから後輩を連れていって「30分経っても俺が出てこなかったら、会社に電話してくれ」と言っておいたんです。そしたら、勅使河原さんが出てきて「妻がいなくなりました」と。それで「山崎浩子、失踪」というスクープになったわけです。
竹田 ありましたね!
柳田 あれは私が書いたんです(笑)。取材が終わったのが深夜12時くらい。すぐに会社電話したら「1面を空けてある。今から書け」って言われて。「書けって言われても……」っていうので、電話で原稿を口頭で伝えてデスクが書き留める、いわゆる空原(そらげん)で入れました。今みたいにパソコンですぐに送れる時代じゃなかったから。
竹田 うんうん、そうでしたね。
■柳田「僕は週刊誌の人はすごいと思っています」
柳田 とにかく、これで一発目の結果が出たわけです。これをきっかけにテレビ局のワイドショー関係者とか、週刊誌の人たちとも知り合いになったんだけど、唯一、文春からめちゃくちゃ嫌われたんですよ。
竹田 そうなんですか。
柳田 というのは、山崎浩子さんが失踪した中で、実は文春は仕掛けのメディアだった。山崎さんを脱会させるための集団がいて、そこと週刊文春が組んでいて、脱会スクープを取る準備をしてたんですよ。有田芳生さんとか、そこにTBSや週刊文春も入って、山崎さんを説得していた。でも、僕は何も知らず、勅使河原さんから聞いたそのままを書いたわけ。それで文春の計画が少し崩れちゃったと。
竹田 そのあたりの経緯は詳しくないですが、そうだったんですね。
柳田 そこで柳田は統一教会側の人間だっていう風に触れ込まれて(笑)。
竹田 (笑)
柳田 全くそんなことないのに。実際、山崎さんが脱会して開いた記者会見に、週刊文春サイドから「柳田は入れない」って言われて入れなかった。日刊スポーツは入れるけど、柳田はダメだと。ずっと一人で取材してたのに。
竹田 それはかわいそう。
柳田 もう、その時はデスクの前で泣きました(笑)。
竹田 それ何歳くらいの時ですか。
柳田 26歳です。この時、メディアって難しいなと思ったんですよ。統一教会の実体は掴めないけど、事実は事実で伝えなければいけない。だけど、これによって怒る人たちがいる。
竹田 確かに。
柳田 で、その時に仲裁してくれたのは飯干晃一さん。娘の景子さんが信者だった。
竹田 そうですよね。
柳田 取材の過程で飯干さんに知り合ったんですけど、読売新聞の元記者だから、すごく新聞の立場が分かって、柳田のやってることはおかしくない、と文春との仲裁の場を作ってくれたんです。そこで和解してからは、文春と仲良くなりましたよ(笑)。
竹田 そんな歴史があったんですね。
柳田 この件で、本当に週刊誌のやり方と新聞のやり方は違うと学びました。若い頃は結果を残すことをだけを考えて、一生懸命やってたんだけど、いろいろなことを考えなきゃいけないんだなって感じました。たまに週刊誌を毛嫌いする人たちがいるんですよ、世の中には。でも、僕は週刊誌の人はすごいと思っています。すごくいろいろなことを、裏側までしっかり取材している。だから、リスペクトしているんです。
竹田 ありがとうございます。僕が週刊誌を代表しているわけではないですけど(笑)。
(後編は2026年9月8日公開予定です)
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